【 Happiness is ~♪ 】」
2012年 01月 26日
皆さん、ご無沙汰しています。お元気でしょうか?
これが最後のエントリーになります。宜しければ是非読んで頂きたいと願っています。
この1年弱、アメリカにおり(違法滞在はしておりませんでし)、ネット(PC自体)の環境が有りませんでした。
今もネットカフェからで、PCにも詳しくないので慣れない事だらけで(汗)。
2010年のクリスマスに、アメリカから生身の人間がプレゼントとして、
何の前触れも連絡もなくやって来ました。 旧知の steven99 が。
「今年のクリスマス・プレゼントは僕自身だよ!もう1年半以上1滴も飲んでいないんだ。
それで苦しくも何とも無いんだ。今度こそ結婚しよう」
って・・・。 イキナリ・・・。
彼と初めて出会った時に 「この人だ!」 って、お互いに100%思いました。
先日漫画家の永井 豪さんの奥様のインタビューを読んでいて、
「出会った瞬間にこの人だと思った。子供の頃からずっと孤独だった。
その孤独を埋めてくれるのも、解放してくれるのもこの人だと感じた。
この人を傷付けたり、邪魔するものから、私はこの人を守ろうと、初めて母性本能を感じた」
みたいな事が載っていて、これって私と99%同じやんと思いました。
結婚する機会は2度有りました。
最初に出会った時と、二人の間に子供を授かった時。
彼の職業はプロのミュージシャンです。 アメリカ在住のアメリカ人です。
私は音楽が大好きだし、ライターの仕事も多少やっていたので、そういう職業の人達の事も
知っていました。
私自身は全く駄目なのですが、アルコールに関しては寛容でした。
ある晩、深酔いして帰ってきた彼が私を殴ったのです。
何が起こったのか分かりませんでした・・・。
その後も3度有り、その度に彼は
「ごめん。許してくれ。どうしてこんな事をしたのか分からないんだ。記憶が無いんだよ。
許してくれ。どんなに君を愛しているか・・・」
って私の足元にしがみ付いて大粒の涙をボロボロこぼして泣くのです。
DVを受けた経験の有る人なら分かるかもしれませんが、
それを聞いている私の心はカラカラの砂漠の様です。
「無」です。 最後には肋骨4本にヒビが入り、警察沙汰に・・・。
私はそれでも彼を愛していました。
でも、このままだと、私達家族の関係が駄目になってしまう・・・・・・・・と、
心で血流す様な思いで、一人で日本へ戻りました。
子供と離れるのは心が引き裂かれる様な思いでした・・・・・。
日本に戻ったら、2010年 12月 08日のエントリーの様な事が有り
直後に事故って半年以上入院・・・・・・・・・。
病院に彼は来ました。凄く自分を責めていました。私は何も言葉が出なかった・・・。
私のお母さんは凄く綺麗でお洒落で、品が有って、華やかで本当に素敵な人でした。
なのに、私が高校3年制の時、お母さんはたった43歳で末期癌で、あっという間に亡くなりました。
今の様に、クオリティ・オブ・ライフなんて言葉すら無かった。
末期はモルヒネすら効かなくなって、激痛で暴れるので、手足をベッドに括り付けられていました・・・。
あの叫び声は今も耳に残っています。
だから、お母さんが亡くなった事実は辛いけど、
もうあんな苦しみから解放された事が私の唯一の救いでした。
私は18歳、妹達は14歳と10歳です。
甘えたで泣き虫のお母さん子だった私には長女の重圧が常に圧し掛かっていました。
彼とすぐ結婚しなかったのも 「自分だけ幸せになっていいんだろうか・・・」と
自問自答していた部分は凄く大きかったです。
何故なのか?
酷い誹謗中傷をブログや価格で執拗にされていましたが、呆れるというより、悲しかったです。
お母さんが死んでから、私が常に感じて守っている事は
「こんな事をして、死んだお母さんが悲しまないか?泣かないか?怒ったりしないか?」 です。
何をするにも行動・言動はそれを忘れた事がありません。
それと、事故ってしまったけれど、自分が健康である事に、いつも感謝しています。
この1年弱、アメリカにいて、彼も完全オフ状態で、私も1番稼げる本業のグラフィック・デザインの
仕事も全くせず、のんびりと親子3人の生活をおくっていました。
そんな時に、3.11が・・・。
私はアメリカに居たので日本で暮らしておられる方と感じ方は違ったかもしれませんが、
自分の無力さを心が千切れそうな程感じました。
そして今までのライフ・スタイルにも恥ずかしい思いがしました。
TVを見るのが怖くなった程でした。
私はお母さんが早くに亡くなった事で、色んな事から逃げていたのです・・・。
働いても完全に自立した事もなく、お父さんに甘えてばかり。
3.11は私と彼にとってとても大きな出来事となりました。
私は、心の奥でアメリカという大きな国を認められなかった。人種差別や銃社会、他色々と・・・。
自分が日本人であることに感謝していました。今もそうです。
お母さんが亡くなって1番ショックだったのは・・・
数年後に妹達から聞かせれたのですが、妹達は
「お母さんが亡くなった事実より、お母さんを失ったお姉ちゃんがどうなるか?の方が心配だった。
お父さんも、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、誰もが皆、お姉ちゃんの事を心配しとってんで」って。。。
って、そんな(泣)。
それを聞いた時は滅茶苦茶ショックでしたが、本当の意味で、3.11まで私は甘えたでした。弱虫でした。
彼はアルコール依存症から立ち直った・・・。 日本の常識では考えられない程凄い事です。
私は何をやっていたんだろう・・・・。
事故後、私を助けてくれたのは思いもしなかった 「写真」 です。
リコーのR6が、CX1が。 オリンパスの E-520 レンズキットが。
そして、価格やブログで知り合った皆さんが。 本当に感謝しています。
この1年弱全くインターネットの環境になく、写真も殆ど撮っていませんでした。
彼は未だにPCも携帯電話すら持っていない超アナログ人間なので、
写真はオリンパスのフィルムで撮っていました。
1枚良い写真が有るのに、ネットカフェってスキャナーが無いんですね。。。
今、彼と私は同じ思いです。 2人目の子供を授かりたい事。
3.11が私に及ぼした影響は計り知れません。もう、甘えたの弱虫ではいたくない。
お母さんの死を言い訳に「自分だけ幸せになっていいのか?」って、逃げたくない。
アメリカへ完全移住する為に2ヶ月弱日本に居ました。来月の頭にはアメリカへ移住します。
そして、結婚して永住権を持ちます。お祖母ちゃんが元気な内に花嫁さんになります。
今まで本当に有難う御座いました。
写真は私のお母さんの様なものです。
日本企業の信頼を地の底まで落としてくれた(泣)オリンパスですが、やっぱり好きなので、
マイクロ(EP-3) と パナ の H-H020 と、E-520 用にやっぱりパナライカ が欲しいので
甘えた弱虫を卒業記念に一気に大人買いです(笑)。
自分が好きだと感じる写真はフィルム・カメラですが。。。60歳位になったら趣味で始めたいです。
柴犬なので、ご主人様には忠実でしたが、コンデジの便利さ手軽さは手放せないので、
以前からずっと気になっていた、SIGMA DP2x も買ってしまいました。
子作りに専念しながら、グラフィック・デザインの仕事は続けますが、
もう、このブログや価格をする事は無いと思います。
YTって貼れなくなったのかな?
Happiness is a Warm Gun - John Lennon [Beatles]
http://www.youtube.com/watch?v=qE2Vdcv9Q_o
この曲は私がお母さんが死んだ時にずっとずっとずっと聴いていた曲です。
ジョンの曲の中でも1番だと思います。ポールとジョージもそう発言していました。
この曲が入っているビートルズの「ザ・ビートルズ(通称ホワイトアルバム)」は
44年も前のアルバムです。44年前ですよ!
私が最終的に棺桶に入れて貰うのは、このアルバムでしょう。。。
Happiness is ~♪ ~ママ?♪ Mother~ ♪ の部分が、
お母さんが灰になってしまった時の私の心に響きました。
是非聞いて画像を見て頂きたいです。
YTの音が余りにも酷いので、誰もが知っている曲も入っている永遠の超名盤なので
宜しければ、CDで聞いて頂ければ嬉しいです。
お母さんへ。
私、幸せになるね。それが、お母さんが1番喜ぶ事だし、1番の恩返しだと思うから。
お父さんへ。
甘えた弱虫も 「家族」 を持ちます。 色々心配かけてごめんね。
↑ を 今は亡き NIRVANA の カート・コヴァーン と フィッシュマンズ の 佐藤さん に捧げます。
すみません・・・撮った写真が切り抜きとか傾き補正が出来ない(汗:汗:汗)なので、撮って出しです。。。
辛く、苦しい時期も有ったけど、故郷を離れる気持ちを撮りました。
外で写真を撮る事の楽しさを教えて下さったのは皆さんです。有難う御座いました。。。
未払いだった、フレッツ光を解約してしまって、今自分のメアドが無いせいなのか?
価格にログイン出来ません。
スレ主が不在なのに(すみませんでした)、1年弱も続いていた「モノクロ 縁側」の皆さんに感謝~ ♪







この頃は必要だったコルセットも今は殆ど外せています。誰も気が付いてくれなかったのかな?
私の左手の薬指には、いつも2本の指輪が。色々有りましたが、どんな時だって、何時だって、常に、
steven99と子供は私と一緒でした。
これが最後のエントリーになります。宜しければ是非読んで頂きたいと願っています。
この1年弱、アメリカにおり(違法滞在はしておりませんでし)、ネット(PC自体)の環境が有りませんでした。
今もネットカフェからで、PCにも詳しくないので慣れない事だらけで(汗)。
2010年のクリスマスに、アメリカから生身の人間がプレゼントとして、
何の前触れも連絡もなくやって来ました。 旧知の steven99 が。
「今年のクリスマス・プレゼントは僕自身だよ!もう1年半以上1滴も飲んでいないんだ。
それで苦しくも何とも無いんだ。今度こそ結婚しよう」
って・・・。 イキナリ・・・。
彼と初めて出会った時に 「この人だ!」 って、お互いに100%思いました。
先日漫画家の永井 豪さんの奥様のインタビューを読んでいて、
「出会った瞬間にこの人だと思った。子供の頃からずっと孤独だった。
その孤独を埋めてくれるのも、解放してくれるのもこの人だと感じた。
この人を傷付けたり、邪魔するものから、私はこの人を守ろうと、初めて母性本能を感じた」
みたいな事が載っていて、これって私と99%同じやんと思いました。
結婚する機会は2度有りました。
最初に出会った時と、二人の間に子供を授かった時。
彼の職業はプロのミュージシャンです。 アメリカ在住のアメリカ人です。
私は音楽が大好きだし、ライターの仕事も多少やっていたので、そういう職業の人達の事も
知っていました。
私自身は全く駄目なのですが、アルコールに関しては寛容でした。
ある晩、深酔いして帰ってきた彼が私を殴ったのです。
何が起こったのか分かりませんでした・・・。
その後も3度有り、その度に彼は
「ごめん。許してくれ。どうしてこんな事をしたのか分からないんだ。記憶が無いんだよ。
許してくれ。どんなに君を愛しているか・・・」
って私の足元にしがみ付いて大粒の涙をボロボロこぼして泣くのです。
DVを受けた経験の有る人なら分かるかもしれませんが、
それを聞いている私の心はカラカラの砂漠の様です。
「無」です。 最後には肋骨4本にヒビが入り、警察沙汰に・・・。
私はそれでも彼を愛していました。
でも、このままだと、私達家族の関係が駄目になってしまう・・・・・・・・と、
心で血流す様な思いで、一人で日本へ戻りました。
子供と離れるのは心が引き裂かれる様な思いでした・・・・・。
日本に戻ったら、2010年 12月 08日のエントリーの様な事が有り
直後に事故って半年以上入院・・・・・・・・・。
病院に彼は来ました。凄く自分を責めていました。私は何も言葉が出なかった・・・。
私のお母さんは凄く綺麗でお洒落で、品が有って、華やかで本当に素敵な人でした。
なのに、私が高校3年制の時、お母さんはたった43歳で末期癌で、あっという間に亡くなりました。
今の様に、クオリティ・オブ・ライフなんて言葉すら無かった。
末期はモルヒネすら効かなくなって、激痛で暴れるので、手足をベッドに括り付けられていました・・・。
あの叫び声は今も耳に残っています。
だから、お母さんが亡くなった事実は辛いけど、
もうあんな苦しみから解放された事が私の唯一の救いでした。
私は18歳、妹達は14歳と10歳です。
甘えたで泣き虫のお母さん子だった私には長女の重圧が常に圧し掛かっていました。
彼とすぐ結婚しなかったのも 「自分だけ幸せになっていいんだろうか・・・」と
自問自答していた部分は凄く大きかったです。
何故なのか?
酷い誹謗中傷をブログや価格で執拗にされていましたが、呆れるというより、悲しかったです。
お母さんが死んでから、私が常に感じて守っている事は
「こんな事をして、死んだお母さんが悲しまないか?泣かないか?怒ったりしないか?」 です。
何をするにも行動・言動はそれを忘れた事がありません。
それと、事故ってしまったけれど、自分が健康である事に、いつも感謝しています。
この1年弱、アメリカにいて、彼も完全オフ状態で、私も1番稼げる本業のグラフィック・デザインの
仕事も全くせず、のんびりと親子3人の生活をおくっていました。
そんな時に、3.11が・・・。
私はアメリカに居たので日本で暮らしておられる方と感じ方は違ったかもしれませんが、
自分の無力さを心が千切れそうな程感じました。
そして今までのライフ・スタイルにも恥ずかしい思いがしました。
TVを見るのが怖くなった程でした。
私はお母さんが早くに亡くなった事で、色んな事から逃げていたのです・・・。
働いても完全に自立した事もなく、お父さんに甘えてばかり。
3.11は私と彼にとってとても大きな出来事となりました。
私は、心の奥でアメリカという大きな国を認められなかった。人種差別や銃社会、他色々と・・・。
自分が日本人であることに感謝していました。今もそうです。
お母さんが亡くなって1番ショックだったのは・・・
数年後に妹達から聞かせれたのですが、妹達は
「お母さんが亡くなった事実より、お母さんを失ったお姉ちゃんがどうなるか?の方が心配だった。
お父さんも、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、誰もが皆、お姉ちゃんの事を心配しとってんで」って。。。
って、そんな(泣)。
それを聞いた時は滅茶苦茶ショックでしたが、本当の意味で、3.11まで私は甘えたでした。弱虫でした。
彼はアルコール依存症から立ち直った・・・。 日本の常識では考えられない程凄い事です。
私は何をやっていたんだろう・・・・。
事故後、私を助けてくれたのは思いもしなかった 「写真」 です。
リコーのR6が、CX1が。 オリンパスの E-520 レンズキットが。
そして、価格やブログで知り合った皆さんが。 本当に感謝しています。
この1年弱全くインターネットの環境になく、写真も殆ど撮っていませんでした。
彼は未だにPCも携帯電話すら持っていない超アナログ人間なので、
写真はオリンパスのフィルムで撮っていました。
1枚良い写真が有るのに、ネットカフェってスキャナーが無いんですね。。。
今、彼と私は同じ思いです。 2人目の子供を授かりたい事。
3.11が私に及ぼした影響は計り知れません。もう、甘えたの弱虫ではいたくない。
お母さんの死を言い訳に「自分だけ幸せになっていいのか?」って、逃げたくない。
アメリカへ完全移住する為に2ヶ月弱日本に居ました。来月の頭にはアメリカへ移住します。
そして、結婚して永住権を持ちます。お祖母ちゃんが元気な内に花嫁さんになります。
今まで本当に有難う御座いました。
写真は私のお母さんの様なものです。
日本企業の信頼を地の底まで落としてくれた(泣)オリンパスですが、やっぱり好きなので、
マイクロ(EP-3) と パナ の H-H020 と、E-520 用にやっぱりパナライカ が欲しいので
甘えた弱虫を卒業記念に一気に大人買いです(笑)。
自分が好きだと感じる写真はフィルム・カメラですが。。。60歳位になったら趣味で始めたいです。
柴犬なので、ご主人様には忠実でしたが、コンデジの便利さ手軽さは手放せないので、
以前からずっと気になっていた、SIGMA DP2x も買ってしまいました。
子作りに専念しながら、グラフィック・デザインの仕事は続けますが、
もう、このブログや価格をする事は無いと思います。
YTって貼れなくなったのかな?
Happiness is a Warm Gun - John Lennon [Beatles]
http://www.youtube.com/watch?v=qE2Vdcv9Q_o
この曲は私がお母さんが死んだ時にずっとずっとずっと聴いていた曲です。
ジョンの曲の中でも1番だと思います。ポールとジョージもそう発言していました。
この曲が入っているビートルズの「ザ・ビートルズ(通称ホワイトアルバム)」は
44年も前のアルバムです。44年前ですよ!
私が最終的に棺桶に入れて貰うのは、このアルバムでしょう。。。
Happiness is ~♪ ~ママ?♪ Mother~ ♪ の部分が、
お母さんが灰になってしまった時の私の心に響きました。
是非聞いて画像を見て頂きたいです。
YTの音が余りにも酷いので、誰もが知っている曲も入っている永遠の超名盤なので
宜しければ、CDで聞いて頂ければ嬉しいです。
お母さんへ。
私、幸せになるね。それが、お母さんが1番喜ぶ事だし、1番の恩返しだと思うから。
お父さんへ。
甘えた弱虫も 「家族」 を持ちます。 色々心配かけてごめんね。
↑ を 今は亡き NIRVANA の カート・コヴァーン と フィッシュマンズ の 佐藤さん に捧げます。
すみません・・・撮った写真が切り抜きとか傾き補正が出来ない(汗:汗:汗)なので、撮って出しです。。。
辛く、苦しい時期も有ったけど、故郷を離れる気持ちを撮りました。
外で写真を撮る事の楽しさを教えて下さったのは皆さんです。有難う御座いました。。。
未払いだった、フレッツ光を解約してしまって、今自分のメアドが無いせいなのか?
価格にログイン出来ません。
スレ主が不在なのに(すみませんでした)、1年弱も続いていた「モノクロ 縁側」の皆さんに感謝~ ♪







この頃は必要だったコルセットも今は殆ど外せています。誰も気が付いてくれなかったのかな?
私の左手の薬指には、いつも2本の指輪が。色々有りましたが、どんな時だって、何時だって、常に、
steven99と子供は私と一緒でした。
# by steven99 | 2012-01-26 21:23





































































